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【2018年4月発行 笑福だより】ある教会長の姿にみた 人をたすけるということ

  • toyonobunkyokai
  • 2018年4月14日
  • 読了時間: 2分

「教会というのは、おたすけ道場である」と、ある教会長から聞いたことがあります。「人をたすけてわが身たすかる」と教えられるように、人をたすけることが用木の務めであり、陽気ぐらしへ続く道であると諭していただいたのです。

 なるほどとその時は納得したのですが、最近は「人をたすける」ということを深く考えることがあります。私は医師ではないので、施術によって病を治すことはできません。またカウンセラーでもないので心理療法を施すこともできません。ではいったい何ができるのか。分からなくなってしまいました。

 ある時、知り合いの教会長さんの講話を聴きました。治る見込みのない方をおたすけしたいと日々その方のもとに通い、何かできることはないかと思案されたそうです。厚い信仰心を持っているわけではなかったその人が、少しずつ心を開き、家族や親類に天理教の参拝の仕方を伝えるようになったそうです。残念ながらその方は亡くなられました。

 この方のことを思い、「うっ」と小さく嗚咽をもらしながら、ときどき言葉を詰まらせながら、でも前を向いて話されるのです。その教会長さんの姿に心をうたれました。こんな風に心を向ける教会長がいる教会には信者さんも心をつないでくれる、素晴らしいなと思ったのです。

 同時に私は気づかされもしました。私にはその覚悟はない、それほどの信仰心、おたすけに対する必死さもない。教会を継続することを目的に、親の思いに応えようと教会に戻ってきましたが、教会長はだれがやってもいいものではないと、近頃は真摯に思います。


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