神の微笑 芹沢光治良 著。1986年上梓。(2016年11月10日読了)
- toyonobunkyokai
- 2016年11月14日
- 読了時間: 3分
芹沢光治良=1896(明治29)年、静岡県沼津市我入道に生れる。第一高等学校から東京帝国大学経済学部を卒業。在学中高等文官試験に合格。卒業後、農商務省に勤めるが、官を辞してフランスのソルボンヌ大学に留学。卒業論文完成直後、結核に倒れ、フランス、スイスで療養生活を送る。1930(昭和5)年、帰国して書いた『ブルジョア』が綜合雑誌「改造」の懸賞小説に当選して作家生活に入る。『巴里に死す』『一つの世界――サムライの末裔』など、多くの著書があり、大河小説『人間の運命』で、日本芸術院賞、芸術選奨を受賞。日仏文化交流の功労者としてフランス政府からコマンドール(文化勲章)を受章。日本ペンクラブ会長、ノーベル文学賞推薦委員などを務めた。1986年から、毎年書下ろし小説を刊行。1993(平成5)年3月、死去。
芹沢は日本では文学者として知られますが、それ以前は経済学を学ぶ学生でした。国費によってフランス留学し、そこで当時最先端の思想、技術に触れています。申し分のないリアリストである彼が神について考えたのです。異国にて当時は不治ともいわれた結核に罹り、療養施設に入り、人生を変える人との出会い、考えの変換があったといいます。
結核の治療は当時具体的な外科的治療ができるわけではなく、自然療法が主となっていました。隔離された田舎の山岳や高地に入院し、寒空の下で毛布にくるまり、空を見上げるのです。ジブリ映画「風立ちぬ」をご覧になった人は、ヒロインの女性が寒空の下、まゆのようなものに入り、手紙を読むシーンを思い出してください。ただただ自然に任せ横たわる日々、そして時々、死を迎えた人を運び出す静かな足音。研ぎ澄まされていく神経、感覚。こんな死が身近にある日々の中で、これまでの人生を振り返り、死を意識するのです。療養とはいえ、精神的には残酷です。芹沢はここで科学者、ブルジョワ層の人を友人に持ち、多大なる影響を受けています。この地で文学者になることを決意したのも、友人との触れ合いの中で思い、考えた結果だったといいます。
芹沢が生まれたのは明治29年。天理教を信じる両親のもとに生まれ、かなりの貧乏生活を強いられたといいます。心に生まれたのは宗教に対する不満、不信。自らの力で生きていくと決め、着実に進んでいきます。強い心を持った人物です。その芹沢の心が、結核療養期に少し変化していきます。それは人の力ではどうにもならない、世界や自然を動かし保つ大きな力は存在しているという考えです。それを天啓という形で人に伝えたのがイエスであり、ブッダであり、中山みきであると。その力を神というならそれもいい。ただ、宗教という組織になった時から腐敗が始まるとも言っています。
その後、日本に帰り、芹沢は文学者としていくつもの不思議な体験をしています。中山みきの啓示を告げる青年との出会い、真柱との親交、晩年には木々との会話。どこまでがノンフィクションなのかわからない、エッセイのような小説のような、不思議な文章が綴られています。
芹沢はこの作品を始めに、神と人間シリーズを8冊上梓しています。93年の死後まもなくに発表された『天の調べ』が最後の作品になっています。偉大な人生を歩んだ芹沢が最後に選んだテーマが神であり、人間であるということに興味があります。その理由は、作品の中に織り込まれているのではないでしょうか。
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